3月20日(水) 西海岸を歩く
予報どおり、ポカポカを通り越して暑いくらいのお天気になりました。
久しぶりの西海岸をまずは大瀬崎へ。 少し霞んではいますが、どこまでもステキな富士山が付き添ってくれます。 富士山は言うに及ばす、沼津アルプスの山並みも美しい。
西海岸には鳥の嘴のような「砂嘴」と呼ばれる地形が多く見られます。
海岸沿いの海流の影響で細長い帯状に砂や土がたまってできたもので、大瀬崎や戸田はその典型です。
砂嘴の内側は穏やかでダイビングのメッカでもあります。
大瀬崎南火道: 外海のゴロタ石の浜を南に下ると、大瀬崎火山の溶岩が幾重にも積み重なり、ポッカリ口を開けた南火道の中心から何度も溶岩が噴出した様子を見ることができます。
音が聞こえてきそうな荒々しくも生々しい断面です。
神池: これほど海に近いにも関わらず、淡水で海面よりも水位が高く伊豆の七不思議のひとつだそうな。
地中に不透水層があり海水とは混じらないのではないかとの説があるものの、はっきりとはわかっていないようです。
大瀬崎神社: 樹齢1500年といわれる神木・ビャクシンも向拝の虹梁の彫物もなかなか見事です。
また、大瀬神社の祭礼には女装した青年たちが踊り船に乗って集まることで有名です。
少し北上して、かねてより訪ねてみたかった口野の切通しへ。
江戸時代に手掘りで作られ、数年前の落石で今は通行止めになっていますが、その前はバスが通る生活道路だったそうです。カーブミラーがその名残をとどめています。
この地層は伊豆の中でも古い時代の海底火山の堆積物で、その累々と積み重なった断面は何とも魅力的です。
さらに近くの大男山へ。 200mほどの低山ですが、麓にはやはり石丁場の跡がいくつも残っています。 まるで神殿のようです。
さらにさらに北江間横穴群へ。こちらも凝灰岩に掘られた7世紀から8>世紀にかけての墳墓です。
本日は、海底火山の時代の名残りの地形を中心にあちこち盛りだくさんに歩きました。
久々に地元の民宿の美味しい地魚を食べ、最後の締めにイチゴソフトを食べ、大満足です。
3月14日(木) 須雲川を遡る
箱根湯本は箱根を歩く時の起点の一つになっていて、度々やってきます。
ここの女性用トイレの個室の注意看板は秀逸なのでとても気に入っています。
男性用の方は入っていないので未確認。
よくよくご覧下さい。ぼんやり見ていると気づかないかもしれません。
実際にそういう事例があって困った上での注意なのか、あるいはジョークなのか。
私はこのセンスの良さに拍手といきたいところです。
さて、本日は須雲川沿いに旧東海道を畑宿まで遡り、飛龍の滝、鷹巣山、浅間山を経て戻って来るコースです。
箱根湯本: 有名な温泉場ながら初めて来ました。
裏通りを歩けば昔ながらの風情が残っています。
飛烟の瀧、玉簾の瀧: 旅館の敷地内にあります。 湧水は地層と地層の境目から湧きます。
箱根火山の基盤となる須雲川安山岩類の上に重なった箱根火山の前期中央火口丘溶岩の間の礫層から流れ出て滝となっています。
瀧とともに火山の歴史もその堆積層から見ることができます。
須雲川ジオサイト: 須雲橋からはマグマが岩盤を割りながら上昇してきた跡である「岩脈」がいくつも見られます。
幅は平均で2.9m、219本確認されており、この貫入のために土地が北東ー南西方向に650mほど広がったのだそうです。
地球の力、凄いですね。
滝坂道の柱状節理: 畑宿と芦之湯温泉を結ぶ「滝坂道」の途中、飛龍の滝の手前にあります。 今日で2度目、見上げる垂直の露頭は実に見事です。
芦之湯温泉まで来ればあとは下り。 鷹巣山、浅間山、湯坂城跡を経て湯本まで戻ってきました。 まあ、それにしても長い長い下りでした。
3月8日(金) 宇佐美の山
宇佐美の浜から一面に広がるみかん畑の丘は「みかんの花咲く丘」の舞台になったところです。
ゆるゆると登って行けば、輝く相模灘、浮かぶ島に舟、はるかに房総半島、歌そのものの景色が広がってきます。
大丸山山頂: 昨日はあられ混じりの冷たい雨が降りました。
この冬は雪の少ない富士山でしたが、今日の富士山は随分と裾野まで白くなっていますし、箱根の神山もうっすら白くなっています。
巣雲山スコリア断面: 伊豆スカイライン側から噴火の歴史が縞模様を描く美しい断面を見ることができます。
巣雲山山頂: 風もなく穏やかな陽射したっぷりの草原で360度の素晴らしい景色をながめつつ、おにぎりをパクつけば贅沢この上なし。
山も海も春めいてきましたね。
もうすぐ、タケノコもワラビも出始めて、楽しみな季節がやってきます。
2月21日(木) 八丁池
久しぶりに旧天城山隧道を渡って河津側出口までやってきました。
以前から気になっていた向峠歩道の入口はそのすぐ脇にあります。
地形図を見てみると、少し先にある676m水準点から向峠まで真っ直ぐに尾根が伸びています。
急斜面なので、沢沿いから入り、巻き道しながらこの尾根に合流する歩道だと予想して歩き始めました。
コンパスを当てるまでもなく点々と赤い印が付けられており、迷うことはありません。
無事向峠に到着。 向峠からは私の登ってきた向峠歩道と寒天林道に降りる寒天歩道が分かれているようです。 こちらもまたいつか行ってみたいと思います。
青スズ台までは気持ちの良い尾根歩きです。
935mピーク: ちょうど目印になるようなヤマグルマがあります。
この辺りが寒天林道火山の火口と思われるものの、その痕跡は見当たりませんが、真っ直ぐ流れ下った溶岩流の先端は寒天林道脇にその露頭が見られるところがあります。
今、歩いているこの瞬間の足元の地面の成り立ちを想像しながら歩くのもまた面白いものです。
どんよりの青スズ台に八丁池。
それでも寒くはなく、池の水も少し緑色がかかってきて、春の気配を感じます。
白砂天井はダラ~っと広くてはっきりした尾根がなく、どのようにも歩けるのですが、どこを歩いているのかわからなくなることもあります。
何度歩いても初めて出会う素敵な木がありますね。
大ヒメシャラ: 上り御幸歩道のヒメシャラほどの太さでははないものの2番と言っていいかもしれません。
ヤマグルマ: これもまた妙な姿。
水生地まで戻るとミツマタの花が咲き始めていました。 春近し。
2月14日(木) 伊豆三山
2月に入り変わりやすい天気になってきました。
寒さも一段と厳しく、標高およそ400mのわが家は熱海といえども雪が降ります。
縮こまって運動不足になった体に活を入れたいところですが、山越えの凍った道も怖いので、近場の伊豆三山にやってきました。
日差しもなく寒々しい空に垂直にそびえ立つ城山南壁を眺めつつ、まずは最初の城山山頂まで来ました。
城山は標高342mほど。
残念ながら富士山も見えず、標高の高いところでは雪が降っているような雲行きですが、足下に広がる田方平野やゆったりと蛇行する狩野川、走る車も見えて箱庭のようです。
二つ目葛城山。
今日は背面登山道から登ってみました。
火山の名残りの露頭や美しいウバメガシの林をゆったり眺めたいところながら急登です。
ロープウェイでも来られる葛城山山頂は、季節の良い時には自分たちが外国に来たかのように思えるほど外国人観光客でいっぱいです。
さすがの今日はほかに3人いるだけでした。
お昼を食べているとチラホラ降ってきたので、大急ぎで三つ目の発端丈山に向かいました。
発端丈山で折り返し、今日は久しぶりにピストンで帰ることにしました。
おかげで帰路に見上げた城山南壁にはクライマー!何度も来ていますが今日が初めてです。
こうして見ると本当に巨大な岩壁です。
しばらく眺めていると、装備を身に着けヘルメットをかぶった女性が登山道を登ってきます。 これから登るぞという人たちに会うことはよくありますが、意外に多い比率で女性がいます。 ただ、すごいなあ、若いなあと感心するばかりです。
それにしても楽しいのでしょうかね・・・・楽しいのでしょうね、きっと。
帰りに伊豆長岡の「あやめ湯」に立ち寄りました。
以前近くに住んでいた時には火傷するくらい熱かったのですが、最近は入れるくらいにはなりました。
それでもかなり熱いお湯ですが、とてもさっぱりします。
今日は貸し切りでした。
2月4日(月) 玄岳
カラカラ天気の1月が過ぎ、2月に入ったとたんに周期的にお天気が変わるようになりました。 今日は立春、というよりも立夏というような陽気です。
玄岳山頂です。
ぐるり360度。
両側に駿河灘と相模灘、北にはもちろん富士山に南アルプス、箱根の山々。
南に目をやれば天城連山、さらにその向こうに伊豆七島が見えています。
ここはちょうど伊豆半島の付け根にあたり、伊豆半島の形が実感できる場所です。
山頂には799.2mの表示板がありますが、国土地理院の地形図では798.5mです。
表示板の高さ分高いのか、測り直したら低かったのか・・・この違いは何ぞや?
丹那まで下り、再び登り返して氷が池までやってきました。 水量が随分と減っています。 池越しに見える富士山がとても美しい場所です。
1月29日(火) 八丁池
凍った歩道の霜柱をバリバリと踏みしめながら青スズ台まで来ると、雪もうっすらと付いています。
黄金色に光る海はなんて美しいのでしょうか。
島影も風車群も輝いています。 真冬の森も海も青空も格別です。
凍った八丁池を見てみたいという友人のリクエストにお応えしてやって来ました。
正月3日に訪れた時は全面凍結して美しい氷紋が見られたのですが、半分凍っている状態です。 今日のほうが断然寒いのに不思議ですね。
それでも初めての凍った八丁池に友人も満足してくれたようで・・・
白砂天井のアブラチャンは変わらず佳い姿。
真っ直ぐに伸びる樹形をまだ見たことのないヤマグルマ。
これも奇妙な格好をしています。
「〇〇は木に登る?」モデルさん、いつもありがとう。
富士山が垣間見える冬木立の白砂天井を下って今日の山歩きは終了です。
今日でちょうど30回目の八丁池です。 自然の奥深さ、何度来ても飽きないですね。
1月24日(木)
あちこち南伊豆
昨年の秋、三筋山から見た片瀬山(左)と城山(右)です。
きれいな円錐形の山二つ、私たちは「オッパイ山」と呼んでいます。
今井浜から河津駅を通り、まずは城山を目指します。
河津城があった跡です。河津桜のピーク時は桜より人のほうが多いので、少し早い時期に来てみました。
チラホラと咲き始めています。
山は見る角度で随分と違って見えるものですが、城山から見た片瀬山はやっぱりきれいな形をしています。
片瀬山の尾根はみごとなウバメガシの群落で、海に落ち込むような急な尾根を今井浜まで下ります。
海がほんとうにきれいです。
白浜まで移動し、今日はちょうど高根山のお祭りでしたので行ってみました。 サンマ寿司あり!
かれこれ20年以上も前に一度食べたことがあり、とても美味しかったのでひょっとしてあるかもと期待していたのです。
登山口では地元の人たちの接待があり、とん汁をいただき、デザートにはお汁粉もいただき、さらには紅白のお餅までいただきました。 大満足でした。
お土産にも買って帰りました。これもさらに大満足。
伊豆最古の神社・白濱神社: その縁起はなかなか興味深く、火山と伊豆七島、伊豆半島の成り立ち、そして人々の営みと深く結びついています。
夫の三嶋神とともに三宅島におられた祭神・伊古奈比?命の怒り(832年の三宅島噴火を指すのではないか)を鎮めるために朝廷が名神と定めたと言われています。
10月の例大祭には、海の鳥居の向こうの伊豆七島の神々に祭りの始まりと終わりを告げます。
かつては島々でも同時に火を焚いたとも言われているとのこと。
白浜の海は砂が白いために青が一段ときれいです。
テイカズラの種: キジョランの種だと思っていたのはテイカカヅラの種であると友人が教えてくれました。
探してみるとあるある!
テイカカヅラの実は花から想像もできないようなインゲンに似た長細い実を二つ付けます。
この実が割れて綿毛の付いた種がはみ出していますね。 実際にキジョランとテイカカヅラの種を間違えている人は多いそうです。 キジョランの種はおしゃもじのように平べったい形をしているそうです。
1月10日の湯河原、1月17日の函南原生林のキジョランとした種は長細く、テイカカヅラの種と思われます。 訂正いたします。
1月17日(木)
函南原生林から山中城趾へ
どこにどんな植物が生育しているか分かるくらいに何度も歩いている函南原生林。
鏡のような紫水池、うず高く降り積もったフカフカの枯葉の道、冬の梢のヤドリギのシルエット、美しいオオカサゴケ。
春はまだ浅く、わずかにミズバショウの新芽を見つけたのみの、ひと際静かで力を溜めているような原生林です。
少し離れて森を見てみると、林床はハコネダケやスズタケに覆われていて、人の侵入を阻み鹿の食害からも守られているようです。
天城の森の林床も、かつてはスズタケに覆われてブナも守られていたと聞いていますが、今や跡形もありません。
鹿の食べない有毒なアセビやトゲのある植物だけが残り、ブナの根も剥き出しなっていて、人間もまたその上を歩き、ブナの衰えに拍車をかけています。
大量のブナの実が落ちているのに、下草があれば新芽も守られるのでしょうが、芽を出すや否や鹿に食べられているようで幼木は全く育っていません。
禁伐林として長く守られてきた函南原生林が天城のような道を辿らず、これからも豊かであってほしいと願っています。
意外に近いのでいつか行ってみようと思っていた山中城址まで歩いてみました。
戦国時代末期に作られた石を使わず土だけの山城は珍しく、美しく発掘、整備された「障子堀」や「畝堀」は独特です。
きれいに芝生が張ってありますが、本来剥き出しの赤土のローム層はツルツル滑り、いくつもの堀を乗り越えるのは困難な作りになっていたようです。
この季節、訪れる人もなく、私一人独占の山中城址でしたが、残念ながら愛鷹の峰々の向こうの富士山は雲隠れでした。
今日は少々予習不足、もう一度ゆっくりと見に訪れたいと思います。
1月10日(木) 岩戸山へ
先ずは東光寺の閻魔様と奪衣婆様にお年始のあいさつを。
東光寺は昔から「死者の霊の集まる山」、お彼岸の時には今は亡き人に会うことができると地元の人たちの間では言われてきたそうです。
来宮神社の上の明水神社から始まる道、湯河原からの道、さらにもう一つ函南側から登る道は東光寺へと続き、丁目ごとに佇む石仏様が地蔵信仰の中心として栄えたことを偲ばせます。
十国峠でぐるりと絶景を見まわしてから、これまで一度も歩いたことのない湯河原道に下りてみることにしました。
湯河原まで続く沢沿いの道は「行きはよいよい、帰りは・・・」のひたすらの下りです。
帰路、来た道を上り返すのも芸がないので、岩戸山まで登る別ルートを歩いてみることにしました。
登山道地図にも載っていない道ながら、手作り道標あり。
途中から踏み跡も薄く急斜面を巻いて登り、久しぶりに岩戸観音に到着しました。
岩戸山から下って来たことはありますが、湯河原から登ってきたのは初めてです。
立ちはだかるような巨大な岸壁は近寄り難く、それ故に信仰の対象になってきたのでしょう。
岩戸山山頂: 風が強く、足踏みしながらおにぎりを食べてサッサと退散しました。
石仏の道: 相模灘を眼下に伊豆大島、熱海、伊東、城ケ崎の海岸線、大室山も矢筈山も掌に乗るようです。滑るように下ります。
地元の山・岩戸山。
何度も来ていますが、いつもとは別の道を発見できた面白い山歩きでした。
キジョランの種: 今日はフワリフワリとたくさん飛んでいました。
アケビの実のように割れて、綿毛の付いた種がたくさんはみ出す様が鬼女が髪を振り乱しているように見えることからその名がついたと言われています。
まだキジョランの実を見たことがありませんが、いつかめぐり会いたいものです。
2019-01-24 訂正
その後、テイカズラの種と判明しました。
コクラン?: この季節に残る常緑のラン、コクランでしょうか。真鶴に自生しているそうなので、地理的に近い湯河原にあっても不思議ではありませんが、確認のために花を見にもう一度来なくては。
1月3日(木) 歩き始め
年の初めにとびきりの八丁池です。
真っ青な空に明るい陽射しながら氷点下の寒さ。
それでも霜柱をザクザク踏んでやって来た甲斐ありの「縁起、格別佳し!」でしょうか。
全面氷結しており、その上にうっすら粉雪がかかっておりました。
丸い氷紋がいくつも見えます。 おにぎりをしっかりとパクつきつつも、めったに見られない自然の造形の美しさをゆっくりと楽しみました。
今日は後にするのが惜しいような八丁池でした。
昨年も氷結した八丁池に出会いましたが、シャーベットのように半透明で、今日のような氷紋は見られませんでした。
どうしてこんなにきれいな丸い円ができるのでしょうね・・・不思議、ふしぎ、フシギ。
水生地歩道のワサビ沢: ワサビは流れる水ではなく、年間を通して水温の変わらない湧水に育つのだそうです。
本谷川の上流、まさに水の湧き出すところです。
ここを過ぎれば、まるで刀で断ち切ったかのようにパタリと水音は絶え、白っぽい岩のゴロゴロした涸沢となります。
何度来ても思わず足を止め、地中に潜り流れているであろう水の流れの神秘さを思います。
青スズ台:
シンボル・標柱ドウダンツツジは今年も健在です。
今日伊豆七島がよく見えます。
寒いけれど日差しは春のまぶしさです。
白砂天井のアブラチャン: 花芽がいっぱいです。
オニバシリ: 早くも花が咲き始めていました。
葉と同じ緑色で目立ちませんが、ジンチョウゲ科特有の爽やかな甘い香りがします。
別名、ナツボウズ。 その名のとおり、冬は青々とした葉がありますが、夏には葉を落とします。
お正月の装いの「河鹿の湯」です。
3が日にも関わらず、次から次へとお客さんがやってきます。
12月26日(水) 歩き納め
下り八丁池歩道の大ブナ: もう少し上に一番大きいといわれる大ブナがありますが、これは2番目と言われています。
天城には甲乙つけがたいブナがそれこそ山ほどあります。
年輪を重ねたブナは何か考えているようでもあり、まさに「精霊ブナ」です。
途中から歩道を外れて白砂天井を直登します。
冬枯れの白砂天井には駿河灘から裾を引く富士山が見られる絶好の場所があります。
今日は南アルプスも見え、一同しばし絶景を楽しみ八丁池へ。
今日の八丁池も水が少なく、少し期待していた氷も張っていませんでした。
白砂湧水に立ち寄ってみました。
八丁池の水が少なかったのですが、変わらず湧き出していました。
本谷川の源頭です。
ヤマヤマグルマ: このヤマグルマも例によって妙な格好をしています。 きちんと葉を観察したことがなかったので確認中。
歩き納めののんびり八丁池行き。
風邪も引かず、怪我もせず、今年も一年楽しく山歩きができました。
また来年も歩きますよ!
12月21日(金)
金冠山から真城峠へ
久しぶりの金冠山。
伊豆山稜線歩道の一番北の端に当たります。
今日はその先、奥山からゴゼト山を経て、真城峠まで行ってみようと思います。
初めての山域、少し緊張しながら金冠山から笹原を下って行けば、ぐるり360度見事な景色です。 少し霞んではいますが、風もなく暖かな日です。
笹原を抜けて奥山へ向かうと、一転、延々と続くアセビの林です。
万二郎岳と万三郎岳の間の馬の背のアセビのトンネルに劣らない規模ではないでしょうか。
金冠山までは歩く人も多いものの、真城峠まではさすがに歩く人も少ないのでしょう。
至る所、まるで耕運機で耕したかのように鹿やイノシシが堀り残しのないほど掘っており、鹿の群れが時折歩道をダーッと横切るような生き物の気配の色濃い山道です。
燃え立つ炎のようにクネクネと捩れたような樹形のアセビの林は、ゴゼト山が近づいてくるとシキミが多くなります。
シキミはアセビと違い真っ直ぐに伸びています。この辺りはシキミの産地でもあるので、人の手が入り苗木が植えられているところも多くありました。
コゼト山: 三角点もなく山名表示もありませんが、地図から見るとここが山頂でしょう。
「ゴゼト」は「瞽女倒」と書くそうです。 その名から察する通り、峠越えの雪道で行倒れた瞽女を憐れんで名づけられたようです。
「瞽女」という言葉自体すでに死語となり、物語の中に生きるのみですが、哀しいながらゆかしい名です。
西伊豆スカイラインにぶつかったところが真城峠。
ここで折り返して戻るとしましょう。
春一番に咲くクロモジやアブラチャンの花芽がもうこんなにプックリとふくらんできました。
陰陽転ず。明日は冬至。 日差しが少しずつ延びていきます。
12月13日(木) 原点
久々の矢筈山です。
初めて自分の足で山と名の付くところに登ったのが4年前の11月、この矢筈山でした。
私の山歩きの原点です。
伊東市の川奈沖に浮かぶ手石島の近く、手石海丘で海底噴火があったのが1989年、わずか30年ほど前のことです。
温暖で穏やかな海と山に囲まれた伊豆半島は、実は活火山を抱かえて今なおフツフツと躍動し続けている土地でもあります。
手石海丘階の前に噴火したのが矢筈山とその隣の孔ノ山で、2700年ほど前こと。
まだまだ若い山々です。
孔ノ山の麓をぐるりと歩いて矢筈山へと登って行くと、噴火の生々しさの残る溶岩がゴロゴロと転がっています。
矢筈山も孔ノ山も粘り気の多い溶岩を噴出したので、カップケーキやお餅がモコモコと盛り上がったような形をしているのが特徴です。
岩の割れ目も柱状節理のようにきれいな六角形ではなく、なんだかイヤイヤ割れたような感じがしますね。
岩だらけの矢筈山も孔ノ山も、多彩なコケ類がとても美しい山でもあります。
また、岩と岩の隙間から温風が上がってくるところがあちこちにあり、昨日の雨もあってか蒸気が上がっています。
矢筈山山展望所: 山頂とは別のネコの額ほどの展望所から、ひとりずつ代わる代わる、コワゴワ景色を眺めます。
左から小室山、払火山、中央にドンと大室山。 その右手には大室山から流れ出した溶岩が創った城ヶ崎海岸と伊豆高原。 大室山の麓には池の盆地が広がっています。
丸野山: 近くなので登ってみました。
こちらは矢筈山とは別のタイプの火山で大室山と同じスコリア丘。 天城の山々がすぐそこです。
中央部は窪地になっており火口のようにも思われました。
NEW!
12月7日(金) エサシノ峰へ
水生地を歩き始めて間もなく鹿の甲高い鳴き声。
立ちはだかるような歩道脇の急斜面を鹿が三頭、私たちを警戒しつつ登って行きます。
ついでにゴロコロと落石!
危ない、危ない、呑気に鹿の鳴き声に答えて鳴き真似している場合ではありません。
上り御幸歩道をしばらく上ったところの大ヒメシャラは、天城でも私の知る限りでは一番の太さでしょう。 両手を伸ばしても届かないほどです。
向峠からは歩道を外れ、青スズ台まで尾根歩きです。
時々富士山も見え隠れし、気持ちの良い尾根が続きます。
愛新覚羅彗星と大久保武道終焉の地:
同行の友人と思わず顔を見合わせてしまいました。
期せずして今日が命日です。
昨年この場所に偶然行き当たった時には、この小さなプレートのみでしたが、今日は花が手向けてあります。
私が生まれた年ですので知る由もありませんが、「天城山心中」として名高い事件の現場です。
今日の八丁池: こんなに水が少ないのも珍しく、水神様も水に浸かっていません。
ふつうは正面の水神様の写真は撮れないのだそうな。
エサシノ峰: 噴火年代不明。 とはいえ、伊豆東部火山群の一峰なので、20万年前以降であるのは確かです。
その噴出物とおぼしき露頭の裏側に登ってみると、ごく浅いながら窪地があり、恐らくはここが火口であろうと二人で結論付けまして、今日の目的の一つでもある「エサシノ峰」登頂を終えました。
12月だというのに暖かな日々が続きます。 昨年12月半ばに八丁池を訪ねた時は凍っていました。 良いのか悪いのか・・・