日本列島は、4つの大きなプレートがせめぎ合うちょうど上にあります。災害列島たる所以でもあります。
4つのうち、唯一フィリピン海プレート上にあるのが伊豆半島です。 およそ2000万年前の太平洋上の小さな火山島が、フィリピン海プレートに乗って北上し、本州に衝突して出来上がった伊豆半島。
なんだかまるで「ひょっこりひょうたん島」のようで、想像を搔き立ててくれます。 そして今なお、北へと本州を押し上げつつあります。
そんな伊豆に暮すようになってから、ずいぶんと月日が経ちました。 成り立ちの面白さ、独特の地層や伊豆半島固有の植物たち。
歩いて、歩いて、伊豆の自慢をしたいと思います。
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植物は類似した種が多く、
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NEW!
2月26日(水)発端丈山
先日歩いた伊豆三山。今回はノーマルルートではなく、尾根伝いに葛城山を通過して発端丈山、発端丈山から北東に伸びる尾根伝いに長瀬まで下りてみることになりました。
城山登山口から出発です。
立ちはだかる城山南壁、今日は風の強い日で、空にはレンズ雲。それでも登るんだ!
何人かのクライマーにすれ違いました。
南の尾根を辿って葛城山の南西頂上に出て、かつての北側の登山道に抜けてきました。相似形のような手前の鷲頭山とともに富士山の眺めが素晴らしい。
発端丈山からは、久しぶりに初めてのルートの地図読みです。
まずは腹ごしらえ。山友が持ってきてくれるお餅たっぷりのお汁粉は、これで4連続です。美味しくて、温まって、力回復。この季節は最高です。
発端丈山から長瀬まで、地形図ではほぼまっすぐに伸びる尾根ですが、迷い込みそうな支尾根や、尾根上の巨大な岩を巻いたり、古い踏み跡につい誘われて崖に行き当たったり、うず高く積もった落ち葉でズルズルの急斜面の下りは冷や汗ものでした。
ようやく人里が近づいてきて、倒れてしまった山神様の祠が2カ所。かつては人の営みのあったことが偲ばれるものの、もう長らく誰の訪れもない様子でした。
無事、長瀬に着地し、ホッとしました。久しぶりの初ルートの地図読み。太ももパンパンですが、楽しかったです。
終日、富士山の美しい一日でした。
2月14日(金)伊豆三山
風もなく穏やかで暖かな日です。残念ながら、春霞のように靄って、富士山の姿は隠れていましたが、城山山頂からの眺めはまるでジオラマ。家並みや車、電車も走り、ゆったりと狩野川が蛇行し、工事の音や防災無線の声も聞こえてきたりします。
健脚が一緒なので、いつもは二山のところ、今日は三山をピストンです。
城山を下りて、背面登山道から葛城山に向かいました。ところが、山頂エリアはグルリとフェンスで囲まれ、上には電柵まで付いて、完全にハイカーシャットアウトの体制となっており、驚きとともに悲しくもあり、また、かなり呆れました。
麓からロープウエイに乗る人の乗車料金がかかるのは分かりますが、山頂に立ち入るだけでも有料のようです。その後、発端丈山で出会ったご夫妻も、相当に憤慨されており、昔からハイカーに親しまれてきた山の今のこの在りようは、どう言ったらよいか言葉がありません。
益山寺に立ち寄ってみました。毎年、紅葉の季節には訪れますが、この時期は初めて。葉を落とした姿の大イチョウと大カエデです。
発端丈山でようやく頭を出した富士山。
城山の南壁は威風堂々。ゴマ粒ほどのクライマーの姿と声。よくこんなところ登るねえ・・・・!
1月27日(月)ぐるり・幕山から城山へ
先日行った城山からの眺めがとても素晴らしかったと、山歩き歴30年?40年?という山友に話したところ、行ったことがないというので、一緒に歩いてみました。
私は2山を一度に登ったことがありませんが、山友は健脚なので、幕山を登って下りて、再び城山へ登って戻る、ロング&ハードコースに挑戦してみることにしました。
麓の湯河原梅園の梅まつりは2月1日から始まるそうですが、紅梅が咲き始め、白梅は一つ、二つようやく開いたばかりで、まだまだ淋しい景色です。
まずは幕山へ。
登るにつれて、島々や真鶴半島が真下に見え始めます。熱海から見ると、海に突き出したツルのくちばしのように見えますが、真上から見ると、ずんぐり、ナマコのような愛嬌のある格好です。
幕山の麓を周回しながら下り、城山を目指します。いったん下りて、また登り返すのは、ずっと登るよりきついですね。
先日も訪ねたしとどの窟を再訪し、その先の城山へ。
天気は下り坂ながら、風はなく、空気が冷えたので、島々が良く見えます。
伊豆大島と利島の間の奥に三宅島が見えています。利島、新島、式根島、神津島までは見えることはあるのですが、少し遠い三宅島、御蔵島まで見えることはまれです。
良い日に案内できて、良かったです。
復路は同じ道のピストンもつまらないので、三等三角点上野にタッチしてから、尾根を選んで下ってきました。
初めての尾根は、下った先の様子が分からないので、いつもドキドキします。 健脚はどうしてもだめなら登り返せばいいとさらっと言うのです。そうした場合の自分の体力とも相談ということです。
無事幕山の麓に帰着しました。やっぱり地図読みは楽しい。
1月24日(金)石仏の道
午前中、ひと歩きをしにやってきました。今日もポカポカ陽気で、海も山も春霞がかかったようで、空と海の狭間もわかりません。
東光寺から岩戸山に続く道はハコネザザのアーチが美しいところです。
雪が降ってもその重みで天井が低くなりはしますが、このアーチに守られてスタスタ歩くことができます。
今年の冬は暖かいので、そんな日もなさそうではありますが。
石仏の道もまだ枯れ野、ちょうど草刈りが始まっていました。
定期的に草刈りがされることで、草原の背丈の低い植物たちも元気に芽を出します。ここは、ワラビもたくさん出て、春が待ち遠しいです。
帰り道、ようやく頭を出したフキノトウを見つけました。早速、フキ味噌にするとしましょう。
1月18日(土)八丁池
八丁池が全面氷結したと聞き、出かけて来ました。
早朝、浄蓮の滝付近で0℃でしたので、八丁池では氷点下でしょう。楽しみ、楽しみ!
清々とした冬枯れの森の美しさ。
道を決めずに歩いては、見事な巨木たちを巡り巡り、八丁池まで登ってきました。
予想通り、八丁池は全面凍結し、その上を雪が全面に覆って真っ白、最高です。
腹ごしらえを済ませて、いざ氷上散歩へ。
数人のもの好きの足跡と、鳥の足跡が残るのみです。
東の湖岸にある水神様。水量が多い時は足元まで水が被っているので、正面から間近に見るのは初めてです。竿は折れていますが、琵琶を持った女神さまで、ヘビなのか龍なのか、体に巻き付いています。今年は巳年なので縁起良し。
池を渡った西側の湖岸には線刻弁財天様。こちらも氷結しなければお目にはかかれません。
1月10日(金)城山(土肥城址)
幕山の麓、山神社の岐路からしとどの窟屋を再訪してみました。何年か前に訪れたことがありますが、沢筋の道の涸沢を何度か渡ったり、渡り返したりしながら歩いた記憶があります。
山中にパックリと口を開けた岩窟は、源頼朝が石橋山の戦いに敗れて敗走し身を隠した岩窟と言われています。
追手に追い詰められ、あわや命運もこれまでかと思ったその時、岩窟から「シトド」と呼ばれる鳥の群れが飛び出してきて、追手は人が隠れていないと判断したのか、中を確かめずに立ち去ったと伝えられています。
山の水が滴り落ちるじっとりと陰鬱な沢筋の岩窟は、まさに「しとどに濡れる」ようなところ、そんな由来かと思っていました。
シトドはアオジ、ノジコ、ホオジロなどの小鳥を指し、「巫鳥」の字を当てています。古代、巫女がこの鳥の鳴き声で吉凶を占ったとされ、「神鳥」とも言われたようです。
そんな神聖な鳥が飛び出してきたことが、追手の足を止めたのやもしれません。ここで万一頼朝が見つかっていたら、その先の鎌倉幕府は存在しなかったはずで、歴史は大きく変わっていたと思われる重要な転換点であったと言われています。
鳥の群れが頼朝を救い、鎌倉幕府を打ち立てたと言ったら言い過ぎでしょうか。色々な想像を掻き立てる、ほんの小さな偶然が歴史を変える面白い古事だと思います。
しとどの窟屋の先には、頼朝を助けた土肥一族の居城があった城山があり、初めて訪ねました。
昨日までの強風も止んで、山頂はポカポカのいつまでも居たくなるような心地よさでした。周辺の海、山、町、一望です。
帰路、城を訪ねた報告がてら、湯河原町にある城願寺に寄ってみました。
ここには土肥一族の墓所があります。
境内には、樹齢800年と伝わる大きなビャクシン。こちらも立派です。
幕山の麓の湯河原梅園はまだまだ冬木立。梅の季節はもう少し先のようです。
12月24日(火)大平山
今年も残すところ1週間ほどになりました。午前中だけでも歩きたいと思って、大平山を往復することにしました。
伊東の丸山公園からしばらく登って行くと、ユーカリの木が目立つところが出てきます。成長が早いので戦時中にパルプの代用に植えられた名残りです。
ユーカリの木は樹皮が剥がれ落ち、その下から艶々とした木肌が現れてくる特徴的な木です。
よく見てみると、ほとんどが空に向かって捩れながら伸びているようです。雑巾を絞ると水が滴るように、捩れることで樹皮を落としているようにも見えて面白いです。
幼葉と末葉と言うそうです。幼葉は丸い形をしています。一方、成長した葉は三日月のような鎌の形をしています。成長過程で形が違うのですね。何度も歩いて見ているユーカリですが、今日初めて気づきました。
セミもカエルも変態するし、人間だって変わります。当たり前といえば当たり前ながら、改めてほぉ~~と感心してしまいました。
さらに登って行くと杉の植林帯が現れ、付近には石丁場の跡があります。
いくつか刻印の残る大石が転がっていますが、この刻印を掘るだけでも一日かかりそうな気がして、昔の人々が一体どうやってこの大石を海辺まで運んで船に載せ、江戸まで運んだかと思うと、気が遠くなりそうです。
昔の人たちの時代時代の営みの跡に思いを馳せる山道です。
晴天の冬の日。大平山の山頂から南へ尾根伝いに、見晴しの良いところまで行ってみました。
海も山も島も飛び切り美しい。
見事な黄葉のカエデ、年明けまで残りそうです。今年の山歩きも今日が最終です
12月12日(木)踊り子歩道
軽く歩きたかったので、久しぶりに踊り子歩道を歩いてみることにしました。道の駅・天城越えから本谷川に沿って水生地までを折り返します。
杉の大木が見事です。
江戸時代、伐採を禁じられていた「天城七木」の代わりに下草や雑木の利用を許された民が植えた御礼杉です。
守られ大木となった樹々は、明治になって切り出されて「軍艦・天城」が建造されたと聞きます。
今日歩いている道は、旧天城隧道が完成するまでは、天城街道(旧下田街道)として長らく使われ、ハリスや吉田松陰が歩いた道でもあります。
そこかしこに残る石畳や石積みが、往時を偲ぶ跡として残る、歴史の深い道でもあります。
こんなお墓にも出会いました。炭焼き一つとっても奥深い。
水生地が近くなってくると、川沿いにたくさんのワサビ田が見え始めます。
「水の生まれる地」そのものの場所。この上が天城峠です。
天城峠は山々の水を集めて分かつ分水嶺です。北側に下る本谷川は、途中、猫越川と合流して狩野川になり、南に分かれた水は河津川となります。
雨の多い天城は、今でも斜面の崩落は激しく、とりわけ難所であった天城峠は、現在の新山峠、古峠、中間業峠、二本杉峠、旧天城隧道と時代とともにその位置を変えざるを得ませんでした。いかに難所であったかがうかがえます。
さまよえる天城峠。
そして、今また新たに伊豆縦貫道が天城峠を越えるトンネルに取り掛かったと聞きます。私が生きている間に完成するかどうか分かりませんが、開通すればまた新たな天城峠となるのでしょうか。
今年はこれでもう見納め、と何度も思った紅葉がまだまだそこかしこ、川の水面に映えて美しい。
静かな森を歩けば、頭が空っぽになって良いのですが、いにしえの人の歴史の跡や今なお自然と共にある人の営みを辿りながら歩くのも良いものです。
冬に向かう林床に早くも春の息吹。